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恐怖!! 「黒死病」がやってきた!(2)

最近、まともな記事を書いてなかったわけでありますが、気がつけば1万HITを突破しておりました。本当にありがとうございます。

(ここ数日で跳ね上がったのは、どうやら「考古学論文」ってことばがHITしたようです)

実のところ、カウンターの設定がページビューのカウントになっているようなので、正確なところはもうちょっと少ないんですけどねー
それでも、日平均80人前後のかたに見ていただけているようです。
内訳も、ブックマークから飛んでこられる方が全体の8割を占めているようでして…って、常連顧客ばっかじゃんw

そんな常連さんたちにお届けする、<黒死病シリーズ>第二弾です!
前編はこちら
さて、ヨーロッパ地域において猛威を振るったペストに対し、当時の人々はどのように考えていたのでしょうか。

 ある人達は、神様に頼ろうとしました。
教会に多額の寄付をすれば、神様が病気から守ってくれる。もしくは、死んでも天国に行かせてくれると考えたのでしょう。
お守りやキリストの像、それにお札入れなどが飛ぶように売れました。それによって、莫大な財産を築いた教会もあったほどです。

 鞭打苦行派と呼ばれる人々もいました。
この名前は、「ペストは神罰である」と考えた人々が、神をなだめるために自分の体を鞭で打ち叩くという苦行を為したことに由来しています。この派の人々は、女性と話すことや、体を洗うこと、そして服を着替えることなどが禁じられていたそうです。
実際の所は、体を清潔にすることが、ペストの感染を防ぐ第一の予防法なわけですから、アイタタタなワケでして…。

 一般の民衆の中にも、「死の舞踏(La Danse Macabre)」とよばれる行動に出た人々も居たようです。これは、死への恐怖を忘れようとして墓場や教会などで、ひたすら踊り狂うというもの。
いわゆる集団ヒステリーの一形態だったのでしょう。

 後に、この寓話を元にした絵画や彫刻もつくられました。
王侯貴族も貧乏人も僧侶も農民も、死んでしまえばただのガイコツ…そんなあきらめにも似た厭世的なムードが漂っていたのです。

 ほかにも、瀉血(*1)や、香水や酢などを配合した薬が“特効薬"として、人気を博していました。
当時、医師達は現在の防毒マスクのような仮面をかぶっていました。そのキツツキのようなクチバシの先端には、ハーブがぎっしりと詰められており、それによって感染を防ごうと考えていたようです。
これは、病気は悪臭からうつると考えられていたためです。

 ここで、面白い説も紹介しましょう。
パリ大学医学部のある医師は、「この病気は、惑星の特殊な配列が原因である」という説を発表しました。

 当然のことですが、このような“治療法”は全く効果がありませんでした。また、感染を恐れるあまり死亡した患者の埋葬も、満足に行われなかったため、チフスなどの二次流行も起こっていたのです。

 ペストは、当時の人々の命を奪っただけではありませんでした。それまでの社会の枠組みも、大きく変えることになったのです。

 まず、人口の激減
労働者が激減したため、一人あたりの賃金が高騰しました。そのため、農民を多く雇って土地を耕させていた、いわゆる荘園経営者である地主達が破産し、中世封建体制の破綻を招くことになります。

 この人口の激減は、軍事バランスにも大きな影響を与えました。
ただでさえ人口の少なかったヴェネツィアは、ペストの大流行によりさらに人口がダウン。船員の供給地だったダルマツィアなどもその打撃を受けたことから、人員不足に拍車がかかります。それは、今までのガレー船の漕ぐ人数を変えるという、おおきなシステム変更まで余儀なくされるほどでした。
 ペストはさらに、学界や美術界にも影響を与えます。
 たとえば、イングランドでは知識階級の間では、英語よりもフランス語が用いられていました。
しかし、フランス語の教師が大勢死んだことにより、英語が取って代わることになります。

 1894年、フランスの細菌学者アレクサンドル・イェルサンがペストの原因となるバクテリアの存在をつきとめました。このバクテリアは、彼の名前をとって「イェルシニア・ペスティス(Yersinia pestis)」として知られています(*2)。

 その4年後には、同じくフランス人のポール・ルイ・シモンが、ノミがネズミなどの齧歯類によって運ばれることもつきとめ、これにより感染経路が明らかになりました。
 その後、ワクチンが開発されたため、ペストは根絶されたと言われていました。

 しかし、1910年に5万人が死んだ満州での大流行、インドでは1994年にも発生が確認されパニックが起きたことがあります。
現在でも、世界保健機関(WHO)には毎年 幾千件ものペスト発生の報告が寄せられており、薬の効かない耐性菌の存在も確認されています。
ペストを防ぐのは、結局の所 清潔な住環境でしかないのです。

 ちなみに、このペストがヨーロッパに流入したとされるクリミア半島は、それから500年後に難攻不落の要塞セバストポリを巡って激戦地域となります。
 この戦争で有名になったのは、高名な将軍達ではなく「クリミアの天使」と呼ばれた34歳の一女性でした。その名をフローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale:*3)という…

「死をもたらす災厄」から「命を救う業」へ



***脚注***

*1:瀉血(しゃけつ)
 体内に溜まった不要物や有害物を、血液と共に外部に排出させる事で、健康を回復しようという治療法。中世ヨーロッパでは盛んに行われていた。「何か具合が悪くなったら、とりあえず瀉血」

 ん? それで治るかって?
 血抜いたって、病気は治らんってw

 ルクレの中の人が印象に残ってるのは、ロビンフッドが姪だか叔母だかに裏切られて殺されてしまうシーン。
静脈じゃなくて動脈を切られてしまう。なんか変だなって思うんだけど、その時は手遅れ…(ガクガク
そして、かつては弓の名手と名高かった彼は、最後に力を振り絞って矢を射る。矢が落ちた場所に彼は埋葬される…

*2:イェルシニア・ペスティス
 同じ頃、日本の北里柴三郎博士も腺ペストを引き起こすバクテリアを発見。
北里柴三郎といえば、後にジフテリア血清の開発に成功し、第一回ノーベル賞候補に挙がったものの、黄色人種に対する偏見のために共同研究者のみが受賞というアチャーな話は有名な出来事。血の色は、みんな赤いのにね。
 ちなみに、体温計とか医療機器をつくってるテルモは、北里博士らが発起人となって作った会社ですな。

*3:ナイチンゲール
 言わずとしれた、近代看護の母。
 当時の看護師は「召使い」の延長と考えられており専門知識もなく、また戦地病院も非衛生的で死亡率が高かった。
 そのため、クリミア戦争の際に、自費で従軍看護婦団を組織。軍医達の反感をうけるも、ヴィクトリア女王のバックアップも受け、傷病兵の看護に努め「クリミアの天使」「ランプの貴婦人」と呼ばれ慕われる。

 帰国後は、国民的英雄になることをきらったことと、戦地で精神的にダメージを受けたために、家にこもりつつ、近代看護教育に貢献する。
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Comment

2006.01.19 Thu 15:16  |  

リモーネが、したとかそんな
ルクレッツア・ロッソたちが、日で考古学論文などなっているようなので
したをカウントするかも。


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