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大航海時代講座 Ⅰ章-1項

大航海時代講座 概論

第一章:
-大航海時代を生み出した4つの大改革-


-序論-

「大航海時代」という一つの時代を定義づけるなら、その始まりをどこに求めるか。
「大航海時代」という一つの時代を定義づけるなら、その終わりをどこに求めるか。


1415年 エンリケ航海王子による、サグレス航海養成学校の建設
1488年2月 バルトロメ・ディアス提督 喜望峰到達

1492年10月12日 クリストバル・コロン カリブ到達・インディアス航路発見
1498年5月 ヴァスコ・ダ・ガマ 喜望峰ーインド・カリカット航路の確率
1501-02年 アメリゴ・ヴェスプッチ 第三回航海における「新大陸」確定

1522年 マゼラン艦隊のイスパニア帰還
1768-1771年にかけて行われた、キャプテン・クックによる世界一周航海


 とはいえ、「大航海時代」に至るためには、「大航海時代」を生み出すための土台とも言える時代が必要でした。 1270年から1300年までの30年間に、地中海地方の船乗りたちの間で起きた大きな変化について考えてみましょう。もっとも、これらの技術や知識は古代において、もしくは同時代の他の文化圏においては既に知られていたモノだったりします。とはいえ、それらの貴重な宝が組み合わさったときに、ヨーロッパの船乗りたちが世界の海へと漕ぎだしていくための土台が据えられたといえるでしょう。それは、東側・西側世界を問わず、世界の知識や技術が集まり、造船や航海技術が磨かれ昇華されていく一つの潮流のようなものと言えるかもしれません。

 この章では、"「大航海時代」を生み出した4つの大変革"について考慮します。初めの二つは主に「船自体の改良」、そして残りの二点は「航海技術の変革」です。最後までお付き合い願えれば嬉しく思います。

2009/06/08 Lucrezia Rosso

第1項:船体の改良


 従来の平底船(その名前の通り そこが平らな船)に変わって、竜骨船が誕生しました。
竜骨船とは、竜骨(キール)を中心に据え、そこに梁と肋材をもって船体を組んでいく造船方法の事です。さらに、上甲板(露天甲板 -ちなみに読みは「こうはん」、もしくは「かんぱん」-)が張られ、船倉に海水が入らないように改良が加えられました。

木造キール


 では、竜骨船の登場によって何が変わったのでしょうか。大きく分けて、次の2つの点が上げられるでしょう。
  1.船体の大型化
  2.船の堅牢さがアップ




 まず、最初のポイントである「船体の大型化」ですが、これは言い換えると"荷物がいっぱい積めるようになった"ということです。交易で船を用いる理由の一つは、大量の荷物を輸送することが出来ることです。陸路を荷馬車でえっちらおっちら運んでいくよりは、多少遠回りになったとしてもその何倍もの荷物を海路で運ぶ方が結果的には効果的と言えるでしょう。重要な点として、積載量(一度に積むことの出来る荷物の量)が多いか少ないかということは、コストにも大きく影響を与え、商品の値段にも反映されることになります。これらの改良により、荷下ろしを容易に行える港湾施設の整備、大量輸送による産地-生産地-消費地の結びつきが強化され、それは新たな商業圏の拡大にも繋がりました。この点については、次の章で考えてみようと思っています。



 2番目のポイントは、船が頑丈になったことです。
人体に例えるなら「背骨」にあたる「竜骨」によって船がしっかりと安定するため、船体は頑丈になり多少の嵐にも耐えることが容易になりました。
 
 先に考えた『船の大型化』にともなって、いくつかの改良が加えられました。その中でも大きな点を一つあげましょう。それは、舵の位置が大きく移動した点です。
 従来の船は、船の右舷側に設置された櫂(かい)を操って進路を変えていました。ところが、船が大きくなってくると動きが鈍くなり、それまでのような舵のシステムでは取り回しがあまりにも悪くなってしまったのです。根本的な改良が必要でした。
 これまでの櫂から、船尾から舵板をつり下げる『吊り舵 (Hanging Rudder)』が考案されます。当然、舵を担当する操舵員や船を指揮する船長は船尾(せんび -Stern-)に集まることになり、船尾楼(poop)が作られました。DOLでお馴染みの船体になったわけです。

 余談になりますが、右舷側に舵を付けていた名残は現代にまで残っています。

 英語では、右舷側を「ステアリングボード・サイド (steering board side)」、つまり「舵板側」と呼びます。逆に、左舷側は港に接舷する側なので「ポート・サイド (port side)」と呼びます。


 積載量の増加と船体の強化によって、外洋航海への道が開かれたのです。


 第2項では、「帆船の改良」について考えてみたいと思います。


参考資料:世界の歴史16巻(樺山紘一 著/中央公論社 刊)ほか

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Comment

2009.06.09 Tue 00:09  |  

なんか面白そうなシリーズやってる!

確かに異文化圏の交流は技術面への影響が大きいですね。
特に12~13世紀は十字軍などそれまでは見られなかった規模での人の移動がありましたから、技術の伝達・取り入れ・融合も急速に進んだ気がします。
まあ造船の技術については交流というより地中海への流入というべきなのか、この時点では北で一般化していた技術が地中海で取り入れられるケースのほうが多かったでしょうが、更にその元になる技術はヴァイキングの頃には既に見られてるのだから、これは彼らの基礎設計がそれだけ優秀だった証左と言えるのかも。

  • #-
  • ハミルカル
  • URL

2009.06.09 Tue 19:23  |  ハミルさん>

コメントありがとうございます。
久しぶりに、気合い入れて書いてみました。

> 確かに異文化圏の交流は技術面への影響が大きいですね。
> 特に12~13世紀は十字軍などそれまでは見られなかった規模での人の移動がありましたから、技術の伝達・取り入れ・融合も急速に進んだ気がします。
> まあ造船の技術については交流というより地中海への流入というべきなのか、この時点では北で一般化していた技術が地中海で取り入れられるケースのほうが多かったでしょうが、更にその元になる技術はヴァイキングの頃には既に見られてるのだから、これは彼らの基礎設計がそれだけ優秀だった証左と言えるのかも。

 ご指摘のように、バイキングの使っていたロングシップなどには既に竜骨などの技術が使われていました。また同時代の東方アラビア交易路や中国船などにも、これらの造船技術が使用されていたことを考えますと、地中海への技術の流入という言葉は適切であると思います。
後に取り上げる予定ですが、こうした点は農村から都市へ人の流入が進んだこと、また商業圏が広がることにより技術交流や活躍の場が広がったこと、それまでの技術者(ギルド)と錬金術や科学の文化との融合といったいわば土台が据えられ、そこに東方やイスラム社会からの刺激が加えられることにより、改良や実用化が進んだと考えることも出来ると思います。

  • #-
  • ルクレッツァ・ロッソ(管理人)
  • URL

2009.06.16 Tue 00:02  |  船と人びと

 恐ろしく興味深い記事なのでじっくり読んでからと思ったのですが、是非もなく書き込んでしまいます(笑)
 中世は北海、バルト海が技術や交易の隆盛の中心だったことはハンザ同盟の存在によってよくわかりますね。また中世シチリア王国がノルマン人による建国でしたし、北の人々の影響は相当に大きいですよね。

 北海と地中海では潮流や波の高さなど海の要素が違っており、そのせいで頑丈にするのか、軽くするのか、風を捕らえやすくするのかといった造船の着目点が違ってきますよね。コグなどは地中海にもたらされた船のなかで輸送に関して影響の大きいものでしょう。
 また、ラテンスルの導入などは「地中海への技術流入」では最たるものではないかなーと思います。

 ところで積載量ですけれど、実際には大型の商用帆船というのはそう多くなく(なぜならその大型船舶を所有するには大きな資本力が必要で、かつそれだけ多くの商品が一度に取引されるにも大きな資本力、生産力が必要)、15、6世紀に到っても基本的には小型の船舶による沿岸交易が主体であったようです。大型化というのがどの程度のトン数なのか、気になるトコロ。

 また、積載量の大きさは貨物の大きさ、数量、重量といった要素がありますけれど、大量に商品を取引する生産力も考慮せねばならないでしょうね。おそらく数量よりも重量により意味合いがあって、例えば葡萄酒の樽は非常に重たいので比較的大型の船が必要とかそんな感じかもしれません。「生産力」「資本力」「船舶の大型化」は密接に結びついていますので、ここを飛ばして「大量輸送」となるのはちょっぴり疑問を持っています。(もちろん輸送能力の強化によって生産が促されることはありますけれど、それには単位面積あたりの農業生産力と農地の管理面積が増し、かつ人口も増える必要があるとおもいます。が、商品輸送よりもむしろ十字軍などの人員輸送の比重が高かったのかも…とか想像しちゃったり)。

 それと海のないところへはどうやっていくのかというと、河とやっぱり陸路ですので、最終的には行商人の手から小分けして販売されることを考えますと、どの程度物価に影響を与えたかかなり興味があります(ただし東方との交易を視野に入れると貴金属の流出が中世は多いのではないかと思いますし、大航海時代以降となると銀が大量に入ってきて銀本位になりつつ、東方交易にやっぱり大量に使われてしまって物価の上げ下げは輸送運賃にも直結しますから吟味が難しいですよね…)。

 遠洋航海には造船技術だけでなく、操帆技術や天測技術などが重要になってきますけれど、それはまた別の話ですね。
 ともかく連載楽しみにしておりますー。

  • #hn7S5JsQ
  • マリィナ=ファリエル
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2009.06.20 Sat 08:40  |  Re: 船と人びと

ネット環境のないところに出張中だったため、コメント返信が遅くなりました。申し訳ありません。

いつも見識あふれるコメントありがとうございます。非常に参考になりました。

一応、今後の予定では(ここで予告することでもないのですがw)、次の章ではトルファ・ミョウバン鉱脈の発見とそれに伴う交易圏の拡大について取り上げてみようと思っています。

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