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「紙」の文化史 (7)

魔女帽子


魔女になりたいのぜったい 魔女のリンゴがほしいの
あなたのこと不幸にしてみたいの だけど
魔女になれないの 
今夜は 涙がシトシト流れて
素顔の私に戻るの 戻るの…


-「魔女」 小泉今日子-


 商会茶で上の歌を話題に振ってみたのですが、どうも反応がイマイチ…調べたら、1985年の歌でした。20年前…なんかセツナクなった(ry

 どうやら、お目当ての魔女服は後半に持ち越しのようです。
 後半戦いよいよ開始であります!!


 近況ですが、ここ数日寒いと思ったらついにが降りやがりましたっ!!

ttp://www.sp-etm.hkd.mlit.go.jp/koutu/douro/nakayama.htm

 また、寒くて長い冬に突入ですね…

 ペルガモンにある教会の天使にこう書き送れ。『鋭い両刃の剣を持っている方が、次のように言われる。
「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある」。

ヨハネの黙示録 2章 12,13節 (新共同訳)


 現在のトルコ共和国第三の都市 イズミル(旧名:スミルナ)。
その北にあるのが、現代ではベルガマと呼ばれる古代ペルガモン王国の首都 ペルガモンの遺跡である。ペルガモン王国の正式な名称は、「アッタロス朝ペルガモン王国」であり、西暦前2~3世紀の約150年間にわたって栄えた国だった。最後のペルガモン王が自分の死に際して、遺言によってローマに国を委ねたため、国亡き後も小アジアにおけるローマの重要な拠点として繁栄を続けた街でもある。 実は、このトルコにある本家本元の遺跡よりも、そこから幾千㌔も北西にあるドイツ・ベルリンで、『ペルガモン』の栄華の名残に接することが出来るのだ。


 ペルガモン遺跡の発掘はプロイセン調査団によって行われたため、発掘品の多くが首都ベルリンに運ばれた。ここら辺の経緯は、「史上最大の強盗集団」とも揶揄される大英博物館にも通じることであり、後世になって「我が国の文化財産を奪っていくとはけしからん。とっとと返せ!」なんて話も出たりするけど、ぶっちゃけちゃうと時代背景や当時の世相なんぞをみる限り仕方がないんじゃなかろうか。現に、遺跡をこわして建築資材にしちゃったとか、畑地や軍事施設にするのに邪魔な建物ぶっ壊したなんていうはなしも普通にあったりします。現在のように交通機関が発展した時代にでもならん限り、観光資源としての価値もないしのぉ。ちなみにかつての日本では、浮世絵なんて二束三文だったため陶器の梱包材代わりに使われて国外に流失しちゃいましたとさ、ちゃんちゃん。
で、その発掘品の中でも"目玉"だったのが、紀元前2世紀頃に作られた 通称『ペルガモンの大祭壇』と呼ばれるものである。

 ここで『祭壇』というものについて、西欧・中近東史に馴染みのない人のために簡単に説明しておきたいと思う。ギリシャ語で『祭壇』を表す語は「ティシュアステリーオン」だが、この語源になったのは「ティユオー」という「動物をほふる、犠牲とする」などの意味を持つ動詞である。この言葉通り、神や英雄などを宥めるために動物の犠牲(火で燃やす)をささげる設備が祭壇であり、その周辺施設やら装飾なんぞが集まって神殿などの施設になったと考えられる。後代には、動物の肉や穀物だけではなく、香などを捧げるための祭壇なども作られた。

 『ペルガモンの大祭壇』の話に戻すことにしよう。
実はこの祭壇、『祭壇』と呼ばれてはいるものの、実際には『神殿』とよんでもいいくらい馬鹿でかい代物なのだ。20段の階段を登ったところに据えられた祭壇、それをコの字型に取り囲むギリシア風列柱、その土台部分にはギリシャの神々と巨人族の戦いの様子がヘレニズム様式で見事に彫り上げられている。当時は神殿の中に、さらに「ミニ神殿」がそびえているような崇高な様子を見ることが出来たのだろう。なお、この祭壇はギリシャ神話の最高神ゼウス(ローマに移ってからはユピテル)に捧げられた物だった。

 で、ドイツに持ってきてはみたのだけれど、ここで大きな問題が発生したのだ。なにしろ、土台部分の壁画だけでも1周すれば100メートルにはなろうという代物。
「これだけでっかいもん、いったいどこに置いたらいいだろう…」。
当初は同じ博物館島にある現在のボーデ・ムーゼウ(当時は、フリードリヒ帝博物館)に納めようとしたんだが、どうやりくりしても入りそうにない。復元・組み立てして展示するにはあまりにも馬鹿でかすぎる、これは困った。

 結局、新しく博物館を作ろうという案が1900年代に出て、第一次世界大戦でドイツ帝国がぼこぼこにされる中でも工事は進み1930年になってようやく完成と相成りました。ちなみに1930年というのは、セロハンテープが登場した年でもある。
新しく誕生した博物館の名前は、『ペルガモン博物館』。今回はきちんと考えて初めからでっかく作ったおかげで、『ペルガモンの大祭壇』は復元した状態ですっぽり入るし、バビロンから発掘された『イシュタル門』も本来の姿に復元されて展示されるという、まったく天晴れな結果になったのだ。「博物館に入らないなら、レリーフだけはぎ取るか切っちまおうぜ!」なんて、暴論が出なくてホントよかったとおもいます。

 その後、この祭壇は第二次世界大戦でのナチス第3帝国の壊滅と連合軍による航空爆撃、続く模造国家ソ連・赤軍の流入と略奪行為などによって幾度も破壊の危機に直面する。爆撃の被害を恐れ解体・疎開させられていたが、水道の蛇口からマンホールのふたまで目に付いたモノなら何でも略奪していったイワン野郎どもの目を逃れることは不可能だったため、ロシア本国に強奪・輸送されてしまい、1959年になって東ドイツへの返還がかない再展示の運びとなったのだ。

 ということで、次回はいよいよこの古代ペルガモン王国の名産「羊皮紙」の話である。
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Comment

2008.11.02 Sun 17:15  |  

夢が微妙に叶ったかもしれないキョンキョンだよ! ↓
http://neko6.blog18.fc2.com/blog-entry-283.html

ベルリンのペルガモン階段のぼったなー
なんかでもせっかくなら高層ビルの頂上で吹きっ晒しになってたりするとすごいとおもたある

2008.11.04 Tue 21:29  |  星の話ふたたび

みょーにいいタイミングというかー。
こんばんは。マリィナです。
祭壇のことについてちょっと調べてみました…さいだん座があったものですからw

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