スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「箱船」探索の旅 (7)

~「モード6」 ドレス~  ゴロンタ縫製所製


ブワヤジュールローブ(赤)
ブワヤジュールローブ(赤)
耐50、防32、正50、操帆+2、採集+2、名声55k


ブワヤジュールローブ(藍)
ブワヤジュールローブ(藍)
耐50、防32、正50、操帆+2、探索+2、名声55k


       ・おまけ・
姫君と侍女たち

きっと真ん中の幼女が姫君!

 えっと・・・金庫がドレスでいっぱいになってきた(トホ


 続きは、いよいよクライマックスを迎えた(?)「ノアの箱船伝説」のおはなし。
一応、次回で最終回の予定です。

 第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。

-創世記8章4節 (日本聖書協会『聖書 新共同訳』)-



 黒海とカスピ海の間にアルメニアという国がある。現在こそ、トルコや旧ソ連といったデカイ国(そしてちょっとヤバメな国)が周辺にあるせいで、非常に肩身の狭い思いをしているアルメニアだが、西暦1世紀の頃はローマ帝国のライバル(っていうか、言うことを聞かない国…)として繁栄を誇っていたのである。

 さて、このアルメニアの首都エレバンから望むことの出来る山々が、何を隠そう『アララト山』なのだ。2つ並んでる山のうち、高い方の山が「大アララト山」で海抜5165m、南東にある低い方の山が「小アララト山」で海抜3914mである。この周辺、つまりは「チグリス川源流からコーカサス山脈の間のヴァン湖周辺山岳地帯」を、一般には『アララトの地』と呼んでいるのだ。この山こそがノアの箱船到達地点である、という説は古くから知られており、マルコ・ポーロも『東方見聞録』の中でそのことに触れている。ちなみにトルコではこの山のことを『アグリ・ダグ(箱船の山)』、ペルシャでは『コイヌー(ノアの山)』と呼ぶそうな。

 興味深いことに、このヴァン湖周辺地帯こそが「人類が大規模に農耕を始めたルーツじゃないだろうか」という説もあるのだ。以前から、アルメニアを含めたコーカサス地方は人類が定住・村落化を開始した場所の有力候補地ではないかといわれてきた。さらに最近のDNA解析研究で分かったことなのだが、代表的作物である小麦や、ヤギ・羊・豚などの家畜動物の先祖をたどっていくと、このヴァン湖周辺地帯に現在でも生息している野生種にぶつかるらしい。もしこの説が本当だとすれば、大洪水後にアララト山から下りてきたノア一族が、この地で農耕を始めたという聖書の記述(9章20節)を裏付けることになるのかもしれません。

 それはともかくとして、古代より『ノアの箱船の着岸地』として知られていたアララト山。故に、この場所にノアの箱船が未だ眠ってるのではないかと考えた人がいたとしても、さほど不思議なことではないだろう。
 実は、「アララト山でノアの箱船を発見した」という噂が、まことしやかに流れたことが幾度もある。

 この地域では、古来から遊牧を生業にしているクルド人たちがいた。夏の間、羊の群れをアララト山で放牧する彼らの間には、『箱船の残骸』を見たという言い伝えが伝わっている。とはいえ、クルド人や地元の人にとって、アララト山は「聖地」であり、同時に「行ってはいけない恐ろしい場所」とも信じられていたようで、あくまで身内の間のうわさ話の域を出ることはなかったようだ。迷信深い純朴な彼らにとっては、アララトの山は「神域」だったのである。

 しかし、19世紀にはいると、迷信など恐れない欧米の学術調査団がこの地にもやって来るようになり、それと比例して「箱船発見」の報道も数多くなされるようになる。なにしろ、王様の墓だってミイラだって暴いちゃう連中にとっては、タブーなんぞなんのその。さらには、新聞社が自社の新聞の売り上げを伸ばすために、考古学調査のスポンサーとして名乗りを上げる風潮もこうした動きを後押しする理由となったのだ。

 たとえば、1883年(明治16年)にこの地で地震が発生。それに伴って大規模な雪崩がおきたため、当時のトルコ政府は調査団をアララト山に派遣した。その際、彼らは「ノアの箱船」とおもわれるものを発見したと報告したのである。氷河から、半ば化石化した木製と思われる構造物が姿を現しており、調査団がその中にはいるとそこは高さが5mほどある部屋のような一部だったそうだ。実は、地元の人々はこの「箱船」の存在を知っていたらしいのだが、"悪霊"が出ると信じておりこの近辺には怖がって近づかなかったらしい。しかし、頻発する余震によって崩壊する危険もあったため、調査団はさらなる調査をあきらめて引き上げることになり、再び箱船発見の報は霧の中に、いや氷河の中に埋もれてしまったのである。このように、現地の迷信深い人々が探索に協力的でなかったことや、アララト山が一年中雪や氷河に覆われているという自然環境も、箱船探索を妨げる要因となっていたのだった。

 20世紀に入り飛行機械の発達によって、上空からの「箱船発見」という報告も増えてくることになる。
 第一次世界大戦真っ最中の1917年(大正6年)には、偵察のために上空を飛行していた飛行機のパイロットが、箱船らしきものを発見したと報告した。それに興味を持ったロシア皇帝ニコライ2世は、歩兵2個中隊をアララト山に派遣して調査を行わせる。調査隊は報告のあったポイントで箱船を発見。撮影した写真や、発見された試料の数々はすぐにサンクトペテルブルグにいるニコライ2世のもとに送られた。
ところが、ここで何の因果かロシア革命が勃発!
哀れ皇帝一家は、ロシア赤軍によって銃殺刑。後に起こった赤軍と白軍の内戦に巻き込まれたのか、政権を握った革命政府によって隠蔽された(共産主義は無神論が建前だから)のかは定かではないが、送られた資料もきれいさっぱり消失することになる。浮上しかけた箱船は、またしても闇の中へ…。

 ところが、いわゆる「状況証拠」でしかアララト山の箱船伝説が証明されない中にあって、20世紀の半ばになって「物的証拠」が発見されることになる!
では、次回はそのおはなしについて。
スポンサーサイト

Comment

2007.12.12 Wed 00:54  |  

姫君…!
でもpepeさんのほうが姫様っぽい!

  • #ZJmJft5I
  • すてっぷ
  • URL
  • Edit

2007.12.12 Wed 13:46  |  

ステップ嬢>
いやさ、ぺぺ様は「女王様」だと思うのですよ!

  • #aeXHjovo
  • Lucrezia Rosso(管理人)
  • URL
  • Edit
(編集・削除用)
管理者にだけ表示を許可

Trackback

URL
http://popoloerrante.blog26.fc2.com/tb.php/386-cfb199e9
この記事にトラックバック(FC2Blog User)

FC2カウンター

プロフィール

ルクレッツァ・ロッソ

Author:ルクレッツァ・ロッソ


  • 管理者ページ


  • 映像資料室(FLASH倉庫)

    ◆Lucrezia Rosso

    所属商会記録:オトナの商会@アムスてるダム(現)
    アストレア@ヴェネツィア
    猫教団@セビリア
    世界の船窓から@マルセイユ
    たまごのしろ@ナポリ
    いらん子@セビリア

    ◆オペル・ベクトラ

    得意スキルは誤字&誤爆
     (両方 完スト達成!)


    リンクはフリーでございます。こんなブログですが、お気に召していただければ、是非ともお願いいたします。
    また、コメントを残してくださると中の人共々喜びますし、こちらからもビシッとリンクさせていただきます♪

    お約束

    このホームページに掲載している『大航海時代 Online』の画像は、『大航海時代 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『大航海時代 Online』の有効なアカウントをお持ちのユーザーのみに株式会社コーエーが使用許諾を行ったものです。

    (C)2005 KOEI Co., Ltd. All rights reserved.

    最近の記事

    カテゴリー

    ブログリスト

    BLOG PEOPLE

    ブログ検索

    リンク

    このブログをリンクに追加する

    全ての記事を表示する

    Copyright © ルクレッツァ・ロッソ
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。