スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『ラパ・ニュイ島に行ってみよう!』 (7)

 実は、イースター島の発展と荒廃の歴史は、人間の文明の発達とそれに伴う環境破壊の関係のモデルケースとして取り上げられることがある。便利な生活や、行きすぎた食料生産が原因となって、小さな島の社会が崩壊していく過程が、地球レベルにも当てはまるというわけだ。

 これから、イースター島に伝わる伝承や、考古学その他の証拠によって明らかになった、古代イースター島の歴史を年代ごとに紹介してみたいと思う。ぜひ、どのあたりからおかしくなっていってしまったのかを、一緒に考えていただきたい。

西暦400年代

 イースター島への移住の歴史は、思ったよりも古い。
 このころ、イースター島に、ポリネシアからの移住者たちがやって来たと伝えられている。
20人から50人ほどの集団が、ダブル・カヌーと呼ばれる大きな航海用ボートに乗ってやって来たようだ。この頃のイースター島は、うっそうとしたヤシの森が広がる状態だったようである。

 彼らは、イモ類(タロイモ、ヤムイモ、サツマイモなど)やサトウキビなどの食用作物。また、ニワトリや、食用ネズミ(モルモット)なども持ち込んだらしい。ちなみに、食用ネズミだが、古代インカでは『クイ』と呼ばれており、ごちそうの一つだったらしい。味は豚肉に似ているらしいぞ。
[ペルーでの、実際の調理例が出てたので貼っとく。  ttp://kiokitok.hp.infoseek.co.jp/peru2.htm]

 なお、この持ち込まれた植物や動物たちがどんな影響を及ぼしたのかは、また後ほど出てくるので要チェック。


 遠くヨーロッパでは、キリスト教が国家の公認宗教の一つとされ、東西ローマ帝国に分割統治が始まった頃のことだった。


西暦800年代

 400年かけて人々は、島のあちこちの森を開拓していったようだ。
樹木の花粉が、この時代の地層から激減していること。そして、代わりに草類の花粉が増えていることは、森が切り開かれて畑地や集落が築かれていったことの証拠となっている。


西暦900年~1300年ころ


 島にない物資が発見されていることから、長距離カヌーによる交易も盛んに行われていたらしい。 

 また、この時期の特徴としては、森が凄い勢いで切り開かれていった事が上げられる。急速な森林破壊の理由は、大きく分けて4つにわけられる。

 まず、考えられるのは食糧事情だ。

 理由の1番目は、船建造の材木として、多くの木が切り出されたことである。
イースター島のこの時代の集落跡を発掘すると、イルカの骨が多数発掘される。食用にされていたと考えられる動物の4割が、イルカだったようだ。ご存知のように、イルカを捕まえるためには島から離れた外洋へと繰り出さなければいけない。よって、漁船として大型カヌーが多数建造されたと考えられる。その建材に使われたのは、島に自生していた大木だった。

 2番目に、人口が急速に増加したために農耕地の拡大が必要になった。
前述したように、タロイモなど外来の作物が、初期入植者たちによって持ち込まれたわけだが、これらの作物はそんなに土地が豊かでなくても根付き、その収穫量の多さからも、大勢の住人の胃袋を満たすことが可能だった。それにより、島の人口は加速度的に増加する。増えた住民の生活を支えるために、島の森がさらに切り開かれて畑地に転用されていった。
ちなみに、タロイモというのは日本でいう『里芋』みたいなヤツで、ヤムイモというのは『長芋』だと思ってくれるとイメージしやすいだろう。

 人が増えると、それに伴って集落が拡大していった。
住居の建造に使われる材木や、煮炊きに使う薪としても、木材の需要が急速に高まったと考えられる。

 そして、この頃からモアイ像の建造が始まったことも、島の森が急速に減少していく要因となった。切り出された木は、モアイ像の運搬や各種道具の製造に使われたと考えられる。これが、4番目の理由である。


西暦1200年~1500年


 モアイ像建設ラッシュの時代。
 実は『モアイ像』というのは、多くの人が考えるような「神様の像」ではなかったようだ。いや、崇拝には関わっていたようだが、どちらかというと精霊やご先祖様の魂の宿る場所というニュアンスだったらしい。そして、時と共にステータスや、部族の系図的役割も果たしていくようになったと考えられている。

 どのくらいブームになったかというと、ある研究によると島の人口「9人ほどに1体」の割合で造られていたそうな。この期間の建造数は、優に1000体を超えたと考えられている。当然ながら、島のわずかな資源の大半が、この建設ラッシュにつぎ込まれることになった。


西暦1400~1600年


 イースター島の絶頂期。同時に、島の発展に翳りが見え始めた時代。

 人口は9000人近くまでふくれあがったと考えられる。微妙になり始めた食料を補うために、海鳥の乱獲が始まる。結果として、もともといた海鳥たちが絶滅に。そして、大規模なモアイ建造ブームにより絶滅寸前だった島の森にも、とどめが刺されることになった。それらの樹木は、海鳥たちによって受粉・植生していたのだから。
また、この時代のヤシの実の中に、ネズミの歯形のついたモノが多数発見されることからも、食用として飼われていたネズミたちによって、島の植物が食い荒らされたことも原因の一つになったようだ。

 破滅は、加速度的に進行した。

 まず、樹木が失われたために、土地表土の浸食が一気に進んだ。
風雨にさらされ浸食された大地は保水力、つまり水を大地の中にとどめる力を急激に失ったために、島を潤していた川が干上がったと考えられる。それによって起きた水不足は、人口の肥大した島の社会に大ダメージを与えた。

 大きな木が無くなったため、新たに船を造ることも出来なくなった。
それを裏付けるように、16世紀以降の地層からはイルカの骨が見つからなくなる。つまり、外洋に乗り出すための大きな船を造る資材・技術が消失したのだ。結果として、交易も出来なくなり、島民は外部への脱出も出来なくなる。

≪続く≫
スポンサーサイト

Comment

(編集・削除用)
管理者にだけ表示を許可

Trackback

URL
http://popoloerrante.blog26.fc2.com/tb.php/369-92bb86d8
この記事にトラックバック(FC2Blog User)

FC2カウンター

プロフィール

ルクレッツァ・ロッソ

Author:ルクレッツァ・ロッソ


  • 管理者ページ


  • 映像資料室(FLASH倉庫)

    ◆Lucrezia Rosso

    所属商会記録:オトナの商会@アムスてるダム(現)
    アストレア@ヴェネツィア
    猫教団@セビリア
    世界の船窓から@マルセイユ
    たまごのしろ@ナポリ
    いらん子@セビリア

    ◆オペル・ベクトラ

    得意スキルは誤字&誤爆
     (両方 完スト達成!)


    リンクはフリーでございます。こんなブログですが、お気に召していただければ、是非ともお願いいたします。
    また、コメントを残してくださると中の人共々喜びますし、こちらからもビシッとリンクさせていただきます♪

    お約束

    このホームページに掲載している『大航海時代 Online』の画像は、『大航海時代 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『大航海時代 Online』の有効なアカウントをお持ちのユーザーのみに株式会社コーエーが使用許諾を行ったものです。

    (C)2005 KOEI Co., Ltd. All rights reserved.

    最近の記事

    カテゴリー

    ブログリスト

    BLOG PEOPLE

    ブログ検索

    リンク

    このブログをリンクに追加する

    全ての記事を表示する

    Copyright © ルクレッツァ・ロッソ
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。