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『ラパ・ニュイ島に行ってみよう!』 (4)

・南の島(のエスカフローネ)で不法投棄!?・
今日の不法投棄者

南の島にゴミを捨てないでください!!

・二度あることは、三度?・
連続で発見!

サルベージ、早くしたいです

 今日は最初に、船の歴史をおさらいしてみよう。人類最初の船はどんな形だったのだろうか?


 ここで、船の歴史についておさらいしておこう。とくに造船面から見た、船の歴史だ。

 現存する記録(?)の中に出てくる、もっとも古い船はというと、旧約聖書に出てくる「ノアの箱船」だったりする。このお話が単なる伝説か事実であったのかは今となっては分からないわけだが、その寸法が聖書の記録の通りだとすれば、長さ130m 幅20m 高さ14mという非常に巨大なモノだったらしい。これはアメフトのグラウンドの約2倍弱の広さになる。いわゆるタイタニッククラスだ。もっとも、航行を目的としたモノではなかったため、私たちが今考えるような「船」の形ではなく、大きな箱のようなモノだったようであるが。

 もう少しはっきりした記録で最古のモノといわれるのは、エジプトの壁画に出てくるパピルスを束ねたイカダのようなボートだろう。これは今でも、アフリカやエジプトで使われている。

 メソポタミアでは、少し変わった船が最初に造られたらしい。
それは、動物の皮をふくらませて、人や物を載せて運ぶというモノだった。西暦前7世紀ごろのものとされるレリーフに、この船が描かれている。

 しかし、ほとんどの地域において、もっとも原始的な船は「丸木船」という形で生まれた。
一般に「丸木船」のような、切り出してきた木の幹を彫り、人や荷物を乗せれるようにしたものを『刳船(くりぶね)と呼ぶ。『刳船』の「刳」という字は、「えぐ-る」と読み、これは「モノをくり抜く」ことを表すのだ。
一本の木からつくられた『単材刳船』、前後に複数の材木を合わせた『復材刳船』も、この『刳船』の中に含まれる。

 しかし、「丸木船」では、人も荷物も大量に載せることは出来ない。ましてや、横波一発で転覆する可能性を考えると、外洋航海というのもちと難しい。そこで考え出されたのが、底の部分は『刳船』そのままに、でも 両側に板(舷側板)を張って深さを増そうという『準構造船』なのだ。
今回の舞台となるポリネシア地方で盛んに使われていた航海カヌー、つまり横に「浮き」を付けた"アウトリガーカヌー"や、双胴船のように二つのカヌーを組み合わせてその上に乗り込む"ダブル・カヌー"は、この『準構造船』にあたる。

 さらに、余談であるが。
『準構造船』には、最大の欠点がある。「刳船」を大元につくっている以上、船幅、つまり船の横幅は「刳船」の原料となる材木の太さに左右されてしまうのだ。で、いくつかの材木、つまり構造板を組み合わせて船体をつくる『構造船』が生まれたのである。こうして、材木の長さや幅に左右されずに造船が可能になったことにより、船の種類は飛躍的に増加した。
 ポリネシア地方の航海技術に、話を戻したいと思う。

 ヘイエルダールの唱えた「南米・ポリネシア人 説」を実証するための実験航海によって、古代人の造船技術でも太平洋を渡ることが可能であるということが明らかになった。しかし、この航海結果だけではいくつかの疑問は解決せずに、残ったままである。つまりは、「本当に古代の航海技術だけで、長距離航海は可能なのだろうか」、「本当に南米から来た人々が、ポリネシア人の先祖なのだろうか」という疑問である。

 ニュージーランドの文化人類学者で、デヴィッド・ルイスという研究者がいた。彼は「ポリネシア人の航海技術は非常に優れており、羅針盤や最新の機器を使わなくとも、昔ながらの伝統航法 -星読み・波のうねり・太陽など-だけでも長距離航海は可能だ」と、考えていたのである。その考えを実証するために、1965年にタヒチからニュージランドまでの3000kmを、伝統的航法だけで航海するという実験を行った。

 その後、ハワイ大学の人類学の教授 ベン・フィニーも、仲間たちと共に「ポリネシア航海協会」なる団体を設立。1975年には、『ホクレア号』を建造した。この船は、化学合成材を材料に使ったとはいえ、古代の航海カヌーと同じ性能に近づけた船だった。『ホクレア』とは、ハワイの言葉で「幸せの星」という意味である。

 ベン・フィニーらは、この『ホクレア号』を使って、ハワイ・マウイ島からタヒチへと、ハワイに昔ながらにつたわる航海方法で渡ろう、という計画を進めていた。ところが、ここで思わぬ問題が生じるのである。なんと、伝統的航海技術の専門家が見つからなかったのだ。

 実は、古代ポリネシアでは航海技術、特に海のうねりや星による方位観測などの方法は、それぞれの島の秘技中の秘技であり、部外者には決して教えられることはなかったのである。そのため、ハワイでは長距離航海の伝統技術の継承者がすでにおらず、どこか他の島から継承者を捜してくる必要が起きたのだった。そこで、白羽の矢が立ったのが、ミクロネシア・サタワル島の「勇敢なるピアイルック」師である。

 1976年5月1日、「勇敢なるピアイルック」を航海長とした『ホクレア号』は、マウイ島を出発。タヒチへと向かって、31日間の処女航海にこぎ出した。このときのクルーには、後にポリネシアの伝統航海技術の第一人者となる、ナイノア・トンプソンも含まれていた。無事に処女航海を終えた『ホクレア号』は、その後もポリネシア航海を成功させ、ここに『伝統的航海法(Traditional Navigation)』が確立されたのだった。
 結局のところ、ポリネシアの人々はどこからやってきたのだろう?

 実は、その後の研究、特に遺伝子分析の研究によって、どうもポリネシア人の遺伝子的特徴は、南米人よりも東南アジアの人々の方がよく似ているということが分かってきたのである。かねてから、ポリネシアの航海用カヌーは、その原型が東南アジアで使われているイカダではないのかという有力な説もあったりして、改めてこの考えが支持されたともいえるだろう。

 もっとも、東南アジアが主源流だったとしても、長距離航海による交易によって、南米との文化や血の交流があったという可能性も否定できなかったりもするわけで、最終的な結論を出すにはもう少し時間が必要なようです。


 さて、次回はいよいよラパ・ニュイ島の歴史に戻りましょう。
テーマは、「ラパ・ニュイ島は、なぜ滅びたのか!?」です!

≪続く≫
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