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数奇な運命をたどった航海者たち(6)

拡張パック「La Frontera」まで、あと3日!!

それまでに帰欧できるのか!!(現在地 ペルシャ湾)

顔絵03

(1)ウィリアム・アダムスの人生 Ⅵ


「一 日本は神国たる処、きりしたん国より邪法を授け候儀、
太だ以って然るべからず候事」(『伴天連追放令』より)



 アダムス漂着より40年ほど前、肥前の国を治めていた大村純忠は横瀬浦(現在の長崎県西海市)をポルトガル商人およびイエズス会に提供します。後に、現在の長崎港がイエズス会に教会領として与えられることになりました。イエズス会は、この地を根拠地に日本及び中国へ自勢力を拡大していく計画であったようです。

 しかし日本の時代の流れはそう上手くは運びませんでした。
イエズス会が中国布教の足がかりとしていたこと、いわゆる"尖兵"の育成に励んでいたことから日本も乗っ取られるのではないかという危惧、またキリシタンの増加により統治が難しくなるのではと危惧した豊臣秀吉は1587年6月19日、『バテレン追放令(伴天連追放令)』を発布します。これはキリスト教の布教を不法行為とみなし、宣教師の国外退去、日本人の人身売買、領主が領民に対して改宗を強制することを禁じた法でした。もっとも、南蛮貿易を推し進めていた立場上、大っぴらに布教さえしなければ外国人の居留は黙認されていましたので、「名目上出してみた」程度の禁令ではありましたが。

 漂着したアダムス一行は、大阪の豊臣秀頼と徳川家康の元に護送されることになりました。

 ところが、このときにアダムス達を処刑するよう主張した人々が居ます。それこそが、日本にいたイエズス会の修道士達でした。彼らは、アダムス達がイングランド人やオランダ船団であることを知り、「彼らは海賊船である」と主張したのです。

 なぜ、そこまでしてイエズス会の人々はアダムス達を処刑しようとしたのでしょうか。

 それではここで、またヨーロッパの情勢に目を向けることにいたしましょう。時代は32年前の1568年、場所はネーデルラントです。
(続く)
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Comment

2006.08.29 Tue 11:34  |  きょうリモーネは

きょうリモーネはルクレッツア・ロッソで現在地へ拡張したかったみたい。
ルクレッツア・ロッソが帰しなかった。

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