スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

数奇な運命をたどった航海者たち(4)

なんとなくディスクトップ

特に書くこともないので、自分のパソコンの画面でも貼り付けてみましたw
なぜかこのとき めけ先生のところ画伯のブログを開いていたみたいですねw

壁紙の写真は、リスボン・ベレナにある『発見のモニュメントと飛鳥Ⅱ』。
ココのダウンロードから落とせますよ。あと、ギャラリーの方には世界の各地の港町の写真もあるんですが、これだけでご飯三杯はイケマスネ。
幽霊船騒動

【芋を洗うよう】
 狭い所で大勢の人がひしめき合っているさま。芋の子を洗うよう。
                            (三省堂提供「大辞林 第二版」より)
(1)ウィリアム・アダムスの人生 Ⅳ



b.イエズス会の発展


 海外でのイエズス会の布教方法は、ヨーロッパにおける方法と似通っていました。簡単に言えば、「王様を改宗させて、国民も信者にゲット」というものです。では、どうやって国の支配者を改宗させるのか…それには、キリスト教を信じた方がお得だぞと相手に思わせるのが一番でした。

 日本のいわゆる「キリシタン大名」というのはその成功例の一つといえるでしょう。宣教師たちはキリスト教に改宗したり布教の許可を与えた大名に、当時進んでいた西洋からの知識を伝えました。例えば、貴金属の精錬方法や農地の開拓方法など。またからくり時計などの機械や絵画などの美術品を贈ることによっても歓心を買おうとしたのです。さらには、武器の援助や南蛮貿易での便宜を図ることを条件にした宣教師達もいたようです。
 もう一つの方法は、『現地にとけ込む』というものでした。ロヨラの述べた「(救える)魂を見いだしたならどこであっても、用いることのできるどんな手段をもってしてもその魂のために闘え。」という言葉を実践したわけです。
しかしそれは、他の会派から見れば「やりすぎだろう…」という域にまで達することもしばしばだったのです。

 例えば、インドで布教活動をしていたロベルト・デ・ノービリ (Roberto de Nobili)という人は、インドの支配者階級に布教を行うために面白い方法をとりました。インドではご存じの通り、『カースト制度(*1)』という階級制度が根付いています。そこで彼は支配者にウケがよいであろうバラモン階級に属することにしました。ヒンドゥ教のお坊さんであるバラモンと同じ格好をし、同じものを食べ、同じような生き方をしたのです。彼は聖体受領の儀式の際に、低いカーストの信者に触れないで済むように棒を使ってパンを渡したとも伝えられています。

 「あらゆるものになる」という方法の成功例の一つになった、もう一つの国を紹介しましょう。それは中国です。
中国のキリスト教の歴史において顕著な役割を果たしたのはマッテーオ・リッチ、中国名を利瑪竇(り まとう)という宣教師でした。彼は中国で中国の儒者の服を着て中国式の生活を送ります。中国社会にとけ込んだリッチは当時の皇帝(*2)の高級役人として仕えることになりました。
リッチのあとを引き継ぐ形で中国での布教を進めたのは、ヨハン・アダム・シャル・フォン・ベルという人です。彼の方法は一言で言えば『武器供与』でした。彼は火薬や大砲の製造工場を建設し、カトリックの聖人の名前を付けた銃を製造しては、中国の兵隊が使えるように訓練を施したのです。

中国においてイエズス会の宣教師たちは、改宗者を得るために“多少”キリスト教の教理を変えることまでしました。これが後に『典礼論争』という教皇庁を巻き込んだ大論争に繋がることになるのです。
(続く) 

脚注


*1
カースト制度(四姓制):『職業と世系(生まれ)による差別』のこと。
インドではヒンドゥ教(またはその元になったブラフマン教)の影響から、現在でも根強い階級差別が残っている。宗教的差別が社会的差別になった例の一つである。『カースト』の語源はポルトガル語の『カスタ(caste)』であり、これは『血統』という意味を持つ語である。
インドのカーストは、大きく分けて次のようになる。

 1.ブラフミン、日本ではバラモンとも(司祭)
  神聖な職についたり、儀式を行うことができる。いわゆるヒンドゥ教のお坊さんのこと。

 2.クシャトリヤ(王族・戦士)
  武力や政治力を持つ支配階級のこと。 

 3.ヴァイシャ(平民)
  普通の人。

 4.シュードラ(奴隷)
  ヴァイシャの嫌がる仕事にのみ就ける。彼らはバラモンの影に触れることも禁じられている。

 5.パンチャマ(不可触賎民)
  上記以外の人。
  制度が『四姓制』というのに五番目の階層がいるのは、「彼らは人間ですらない」と扱われているため。

*2
このときの皇帝は万暦帝。正史である『明史』には「明朝は万暦に滅ぶ」と記されているが、明の文化が花開いたのはこの時代。一例として景徳鎮工房における『万暦赤絵』などは顕著な例。
治世の最初は優秀な宰相(張居正)が居たために財政再建・国家改革大成功だったのですが、宰相が死んでしまうともうデタラメに…。

 この皇帝陛下はどうもお金が大好きだったみたいで、国政をほったらかして自分の財産を殖やすことに熱心でした。というか根がケチなんでしょうね。例えば役人や官僚の給料がもったいなくて欠員が生じても補充しなかったために「気がついたら、大臣が一人しかいなかった」り、「知事の数が半分になっちゃった」りしたということも。
その割に贅沢も好きなものでパパッと散財してしまうことも数多く(それゆえに、文化が花開いたのも否めないのですが。)せっかく張居正が立て直した国庫もがたがたになってしまいます。足りない分を補充するために税を重くし、民から搾取したために国もがたがたになってしまいましたとさ。
丁度北の方、満州においてはヌルハチ(愛新覚羅 努爾哈斉)が勢力を固めつつあった時代です。そして中国の王朝はこの後、明から清へと移行するのでした。

 本当に余談なのですが…1960年代にお隣の国では『紅衛兵』と名乗る馬鹿で無学なテロリスト集団(ついでに、江青という名の女優崩れのヒステリー婆さんも含めて)が調子に乗って暴れ回ったことがあります。毛沢東が耄碌し始めた頃なわけですが、どんな英雄でも神格化され始めるとダメになっちゃうのね…。
この大争乱の際に万暦帝と后の遺骸も暴かれて、ガソリンをかけられて燃やされてしまいました。ちなみに故宮とその中の美術品も消失の危機に直面しましたが、周恩来のおかげでなんとか回避することが出来たわけです。何千年もかけて造られてきたのも壊すのは愚行による一瞬なんだ、と改めて考えさせられる一件でした。

 それにしても、周恩来があと10年長く生きていてくれれば…もう少しましな日中関係が出来たのではないかと考えると残念でなりません。
スポンサーサイト

Comment

(編集・削除用)
管理者にだけ表示を許可

Trackback

URL
http://popoloerrante.blog26.fc2.com/tb.php/244-08c956c6
この記事にトラックバック(FC2Blog User)

FC2カウンター

プロフィール

ルクレッツァ・ロッソ

Author:ルクレッツァ・ロッソ


  • 管理者ページ


  • 映像資料室(FLASH倉庫)

    ◆Lucrezia Rosso

    所属商会記録:オトナの商会@アムスてるダム(現)
    アストレア@ヴェネツィア
    猫教団@セビリア
    世界の船窓から@マルセイユ
    たまごのしろ@ナポリ
    いらん子@セビリア

    ◆オペル・ベクトラ

    得意スキルは誤字&誤爆
     (両方 完スト達成!)


    リンクはフリーでございます。こんなブログですが、お気に召していただければ、是非ともお願いいたします。
    また、コメントを残してくださると中の人共々喜びますし、こちらからもビシッとリンクさせていただきます♪

    お約束

    このホームページに掲載している『大航海時代 Online』の画像は、『大航海時代 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『大航海時代 Online』の有効なアカウントをお持ちのユーザーのみに株式会社コーエーが使用許諾を行ったものです。

    (C)2005 KOEI Co., Ltd. All rights reserved.

    最近の記事

    カテゴリー

    ブログリスト

    BLOG PEOPLE

    ブログ検索

    リンク

    このブログをリンクに追加する

    全ての記事を表示する

    Copyright © ルクレッツァ・ロッソ
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。