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ビザンティン帝国の栄光の日々(12)

 長々と続いた、このシリーズもいよいよ最後です。
 ユリウス・カエサルが設計、アウグストゥスが施工、そしてコンスタンティヌスが改造・改築してきたローマ帝国も最期を迎えるときがやってきました。

 それでは、本編をどうぞ
1.権力闘争
 古来より、外敵によってのみ滅びた国家はありませんでした。
 宮廷内での権力闘争の結果、暗殺やクーデターが生じ、社会が安定しなかったことも衰退の要因となってしまいます。
また、その結果、勢力争いによってのみ選ばれた、老齢な皇帝や無能な皇帝が乱立することも拍車をかけることとなりました。

 別の点として、皮肉にも、東側の民衆の文化度が高かったということも衰退の要因ともなりました。
当時の西側諸国では聖書の書かれた言語であるラテン語やギリシャ語は、聖職者階級しか理解できない言語になっていました。そのため、民衆は「まぁ、神父さんが言うんなら間違いねえべぇ」と、ほとんど宗教争議というものは起きなかったのです。
ところが、東側では識字率も比較的高く…故に宗教論争が、たびたび色々な階級を巻き込んで生じたのでした。

2.経済の衰退
 ジェノバや、ヴェネチアといった、北イタリア諸都市の商業国家が力をつけてくると、帝国の産業が次第に衰退してきてしまいました。

 特に、自前の海軍力で制海権を確保できなくなった12世紀頃になると、海賊の横行に頭を悩ませた帝国は、それらの諸都市に「海域の安全を取り締まる代わりに、貿易上の特権を与える」ことによって、肩代わりをして貰うことにします。
これにより、貿易の利益を失った帝国の財政も次第に悪化していくことになったのでした。

3.農業基盤の衰退
 西のローマ帝国が分割後すぐにぽしゃってしまったのに対して、東側が長続きした理由の一つは、古来よりローマ帝国の食料産出地帯となっていたエジプトや小アジア地区を手にしていたからでした。
 また、ヨーロッパの暗黒時代に、西側では失われてしまった古代ローマ時代の農業技術を継承できていたという理由もあります。

 しかし、帝国の東側でペルシャやイスラム勢力が台頭し始めると、食料地帯のエジプトや小アジア地区の領土なども、次第に奪われていくことになります。

 また、西欧でも、三圃式農法に代表される「農業革命」が起こります。腹が満たされた人々は、それまでの労力を美術・科学・学問などへと傾けていき、これが後にルネッサンス、宗教改革、啓蒙主義へと繋がっていきました。
ところが、大きな変化を嫌う帝国では、周囲の国々に取り残されてしまったという見方もあります。

 これらの要因により、国力や軍事力の低下により、かつて「世界の半分を支配した帝国」は、「単なる辺境の国」へと落ちぶれてしまったのです。
 しかし、帝国の衰退に拍車をかけたのは、同じヨーロッパ人、そして同じ「クリスチャン」でした。

 1204年4月12日、エルサレムに向かう途上にあった第4回十字軍が、コンスタンティノープルを襲撃、略奪を行ったのです。キリストの名のもとに十字軍は、その都市を破壊し、戦利品を西側諸国の中心地に運び去りました。

 その後も、なんとか生きながらえた帝国も、ついに終わりを迎えるときが来ます。

 1453年4月11日、トルコの大軍はスルタンのメフメト2世に率いられて、コンスタンティノポリスを包囲します。金角湾の周囲には、強力なオスマン艦隊も布陣していました。
同じ「キリスト教国」である、西欧諸国に対しての援軍要請は、宗教上・政治上の問題により実現は期待できない状況…かつてのローマ帝国の首都は、わずか8000人という守備隊で孤軍奮闘しなければならなくなってしまったのです。
7週間の間、持ちこたえたコンスタンティノポリスでしたが、5月28日 防備が手薄になった船着き場から、トルコ軍が市内になだれ込みます。奇しくも、ビザンティン帝国最後の皇帝は、この都市を首都としたコンスタンティヌス大帝と同じ名前でした。皇帝 コンスタンティヌス11世は戦死。

こうして、かつての栄華を誇ったローマ・ビザンティン帝国はその長い一生を終えたのでした。
この都市を手に入れた、メフメト2世は涙を流してこう言ったと伝えられています。
「我々は、なんという都市を奪略と滅びにささげてしまったのだろう」

かつて、ユスティニアヌスが歓喜のあまり
「ソロモンよ、我は汝に勝てり!」
と、叫んだアヤソフィア大聖堂は、
イスラム教のモスク アヤソフィア・ジャミィと名を変えることになります。

そうです。
国としてのビザンティン帝国はなくなりましたが、
その栄華と繁栄は、今でも私たちに大きな影響を与えているのでした。


おしまい


最後まで、お付き合いいただきありがとうございました。
明日からは、「カレンダーのお話 ~失われた10日間~」の予定です。
Scrivano;
Lucrezia Rosso
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