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ビザンティン帝国の栄光の日々(2)

 仮面はちょいと期待はずれでした!
 でも、衣装に期待したいと思いますw
仮面舞踏会


 では、ビザンティン帝国の第二回目 スタート!
 もともと、このコンスタンティノープル(後のイスタンブール)を建設したのは、ローマ人たちではありませんでした。
 西暦前655年ごろ、ギリシャからやって来た移民たちが建設した都市が基礎になっていると考えられています。彼らは、自分たちの伝説上の指導者ビザスにちなんでビュザンティウスと名付けました。

 その後も地方の一都市として存在していたビュザンティウスでしたが、大きな転換期を迎えます。それは、前回述べたコンスタンティヌス大帝による遷都でした。西暦330年5月11日、彼によってこの都はローマ帝国の首都としての新たな一歩を歩み出したのです。
『ノヴァ・ローマ』またの名を『コンスタンティノープル』と呼ばれたこの都には、西暦6世紀から11世紀までの最盛期は50万人が住んでいたと言われています。

 では、なぜこの都市がここまで繁栄することが出来たのでしょうか。
それは、この地が交通の要衝だったからです。ボスポラス海峡(海賊のうじゃうじゃ居るところ)を挟んで、アジアとヨーロッパが出会う場所…
同時に、交通の要衝ということは、貿易の中心地でもあることを意味していたのです。
ボスポラス海峡を挟んだ、アジア側とヨーロッパ側市街区


~名声と富が、豊かにあふれていた都~

 コンスタンティノープルの都では、世界各地から特産物が集まりました。市場では、絹や毛皮、香木、象牙細工、宝石、金・銀、香辛料、エナメル細工の装身具などが所狭しと並んでいました。
交易路は、遥か東の中国まで続いていました。中国の文献では、ビザンツ帝国が『払林国(拂菻國)』として記述されています。

 皇帝所有の国営工場からは、緋布や紫布といった特産品が産出され、それは帝国と皇室の財政を潤していたのです。また、鋳貨や武具といったものも皇帝の直轄化にありました。

 もう一つ、皇帝直営の工房でつくられていた贅沢品があります。それは、絹織物でした。
『シルクロード-西域貿易路-』は、その名の通り『絹』を運ぶための通商路でした。ローマ時代には、金と絹は同じレートで取引されていたのです。そういうわけで、この絹は中国にとっては最高機密でした。国外に持ち出すことは固く禁じられていたのです。
しかし、そこに風穴を開けたのもビザンティン帝国だったのです。

(続く)
Scrivano;
Lucrezia Rosso
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