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画家フラ・フィリッポ・リッピ (ルネサンス期)

  フラ・アンジェリコが「天使のような僧侶」だとしたら、フラ・フィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi)は「不良僧侶」と言えるかも。

フラ・フィリッポ・リッピ


 そんな、フラ・フィリッポ・リッピのお話。
 フィリッポ・リッピは1406年頃に、フィレンツェの下町で肉屋の子として生まれました。
幼くして孤児になっってしまったため、カルミネ派の修道院で育てられることになります。

 その、リッピに影響を与えた人の一人が、巨匠マサッチオ(*1)。
フィレンツェにある、サンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂ブランカッチ礼拝堂には、マサッチオ作の壁画があります。
「失楽園」、または「楽園追放」


 マサッチオは、人間的な描写の上手な画家でした。
その影響でしょうか、リッピの作品には写真を見ているような、暖かな表情が特徴になっています。
「聖母戴冠」:ウフィツィ美術館 所蔵


 さて、ここでリッピ作の絵画を、もう一枚みていただきましょう。
「聖母子と二天使」:ウフィツィ美術館 所蔵

「あ~、奥さんをモデルにしたんだねぇ~」
「なんか暖かくていい絵だねぇ」

とか、おもうでしょ?

いや、実際そうなんですけどもw
だけどね、この奥さんと結婚するに当たって一悶着が。
そもそも、彼は修道僧です。当然、聖職者は結婚が出来ませんよね。

 1456年。
 当時、プラートのサンタ・マルゲリータ修道院の、礼拝堂付き司祭に任命されていた50代のリッピは、大聖堂の壁画制作を委嘱されていました。
そこで、出会ったのが若い尼僧ルクレツィア・ブーティ。
恋に落ちたリッピは、祭礼の混雑にまぎれて彼女を誘い出し、駆け落ちしてしまいます!

 聖職者同士の駆け落ち! もちろん、周囲は大あわて!!
リッピは告発され、修道院への出入りを禁止されます。

 しかし、芸術家のパトロンだった、メディチ家当主コジモ・デ・メディチ(*2)が取りなしをしてくれました。それにより、二人は還俗(*3)を許されて、晴れて夫婦になることが出来ました。

 1467年、壁画制作のためイタリア中部にある都市、スポレートに移り住みますが、その2年後に没します。

 彼の作品も後世に残りましたが、彼自身もルネサンス絵画に大きな影響を残しました。
 彼の息子も画家になり、フィリッピーノ・リッピの名で知られています。
 彼の弟子には、『春(プリマヴェーラ)』や『ヴィーナス(ウェヌス)の誕生』の作者として有名な、サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli:*4)もいました。
(ヴィーナス誕生に関しての詳しいお話は、 こちらのコラムをどうぞ♪

 なににせよ、この時代に絵画や彫刻、音楽などの芸術が花開くことが出来たのは、富裕な貴族や聖職者が、後援者として惜しみない支援をしてくれたからでした。

 ちなみに、文化後援を行うことを、「メセナ」といいます。これは、フランス語の「mécénat(文化の擁護)」という言葉を、そのまま輸入した物。
 この語の語源は、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス(オクタビアヌス)の、友人でもあり助言者でもあったガイウス・マエケナス(Gaius Maecenas)の名前からとられています。
彼は、才能はあってもお金のない若い詩人達を支援し、彼らに活躍の場を用意したのでした。

 日本でも「企業メセナ」という言葉が定着しましたが、いまいち理解されてないようですね。
税金対策のために、海外で金の力に任せて、高い絵画を買いあさったりすることが文化事業ではないことを、覚えておきたいものです。

***脚注***

*1:マサッチオ(Massaccio)
  本名はトンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・ディ・モーネ・カッサーイ(Tommaso di ser Giovanni di Mone Cassai)。
  わずか27歳という若さでこの世を去るが、初期ルネサンス期の芸術に大きな影響を与えた。

*2:コジモ・デ・メディチ
 通称「コジモ・イル・ヴェッキオ(コジモのおじいちゃん)」とよばれた、フィレンツェの銀行家にして政治家。
一時期は、フィレンツェ市の税収の65%を納めていたそうな。
その有り余る財力を、文化事業や芸術家の支援に惜しみなくつぎ込んでくれたおかげで、現在のフィレンツェ市は「天井のない美術館」の異名を得ることが出来ている。(本当にフィレンツェは良い街です。たまに、インチキブランドの靴とか露店で売ってるけどw)
 もう一つの、彼の才能は「選挙のプロ」だったこと。
選挙制度を駆使して、フィレンツェの上層部を自派で固めていた。

*3:還俗(げんぞく/かんぞく)
 いったん出家して僧籍に入った者が、再び俗人に戻ること。

*4:サンドロ・ボッティチェッリ
 本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ (Alessandro di Mariano Filipepi)
 お兄ちゃんが太ってたので、それと比較して「小さな樽」という意味のボッティチェッリというあだ名が付いた。
 もともとフィレンツェで活動していたが、その時はギリシャ神話を題材にしたような絵をよく描いていた。しかし、後にサボナローラの煽動に心酔し、ヨクワカラン宗教画を描き始める。
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Comment

2006.01.25 Wed 21:13  |  くっ・・・

リッピに反応しちまったぜぃ(ノ∀`)・゜・

  • #8.1uDoBg
  • りぴ
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2006.01.26 Thu 00:36  |  >りぴちゃん

あはは、私もそれ思いましたw
何度「りぴ」と間違えたことか

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