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「写本作りは本当に大変?」 -とある修道士の叫び (前編)

 もしあなたが、写本がどのように書かれるか、それについて知るところがないなら、それを辛いこととは考えないでしょう。
しかし、あなたが詳しい説明をお望みなら、それは厳しい労働だといいましょう。
目は霞んできますし、背は丸まります。あばら骨は軋みます。胃は圧迫されます。感情は乱れ、体全体が弱ります。

 ですからこれを読む人々に申し上げます。
これらのページを丁寧にめくってください。文字を指でなぞりながら読まないでください。というのも、大地の実りを雹が台無しにするように、心ない読み手(の指)が文字も写本も損なってしまうからです。
船人が最後の港を喜ぶのと同じように、私たち写字生は最後の一行を記すときに歓びがいや増すのです。
常なる神の御加護がありますように。


「黙示録注解の書 / 奥書」
1091年4月18日 シロス修道院・スペインにて
写字修道士 ムーニウス  が記す


(『世界美術大全集』7巻/小学館 より抜粋)


 ヨハネス・グーテンベルクが1455年に42行ウルガータ訳聖書を印刷し、その後 活版印刷が爆発的に普及するようになるまで、書物は文字通り「手書き」で写されていました。そして、写本作成において重要な役割を担っていたのは、各地にあったキリスト教修道院でした。

 そもそもが、「文字を書く」という行為自体が教会の独壇場だったのですから、ほとんどの人が「文字を書く」という概念自体、必要としていなかったのも無理からぬことです。実際、中世においては世俗の権威者たる王侯貴族の中にも、自分の名前すら書けない人がほとんどでした。たとえば、9世紀ごろのフランク王国 シャルルマーニュ大王(西ローマ帝国 カール大帝)は、毎晩寝る前に読み書きの練習を行っていたという逸話が残っています。努力の甲斐あって、カール大帝は自分の名前をサインすることができるようになったそうですが、その際にもなぞって書くためのテンプレートのような木型を使っていたそうです。これも裏返せば、貴族階級でも読み書きできる人が当時 まれであったが故に後代まで伝わったと考えるほうが筋が通っているのではないでしょうか。(*1)

 中世ヨーロッパにおいてキリスト教会は、信仰の拠り所としての宗教面だけでなく、出生・死亡や結婚などの役所として、また売買契約を扱ったりトラブルの解決に当たる裁判所として世俗面でも大きな役割を果たしていたのです。それゆえにこそ、教会において標準語として用いられていたラテン語が、ヨーロッパ世界共通語となり得たのです。

 そもそも、「修道院」とは何でしょう。
はじめに、「いわゆる普通の教会」と「修道院」の違いについて考えてみたいと思います。

一言で違いを述べるなら、それは「開かれた教会か 否か」ということです。


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